学園の今昔

池部晃生/退休教授日本京都大學

戦後初めて私が台湾を訪ねたのは1968年10月のことで、翌69年1月まで国立台湾大学で大学院生を対処に数学の講義とセミナーを担当した。当時の台湾は戒厳令下で「毋忘在莒」や「大陸反攻」などの標語が隨所に見られた。戒厳令のためか、当時の台湾の治安は非常に良く、夜遅く歩いていても、不安を感ずることは殆ど無かった。

このごろの日本はどうかと言えば、日大闘争(日大=日本大学)に端を発した学園闘争、学生運動が漸く全国的な拡がりを見せ始めていた。東大(=東京大学)では一部の教員も含めた。大学当局に対する抗議活動が昂まりを見せ、殆ど講義が行われなく、1969年の大学入試も中止せざるを得なくなった。

学園闘争の火は、私が席を置いていた京大(京都大学)にも移ってきた。69年に帰任したときには、講義もまともには行われなくなっていた。しかし入試の方は、3月初旬に何とか実行することが出来た。このため、東大を目指していた学生のかなりの数が京大に入ってきたと思われる。しかし、授業は9月になって、警官隊を導入して学園封鎖を解除するまで行われなかった。

上述のように、このごろの学生は学習上の不利益を蒙ったのであるが、彼等は現在日本社会の中核を形成している。講義を受けるだけが学習のすべてではない。自ら学ぶことの方がずっと重要であると思う。特に大学生にとってはそうであろう。

その後、日本では大きな学園紛争は起こっていない。しかし、問題が無いわけではない。その一つに、小、中、高校生も含めた学生の学力低下である。その原因はいろいろ考えられるであろうが、過剰な大学の数、少子化傾向などが挙げられよう、更に「中とり教育」と称する初等教育のおける教科内容の貧困化政策があろう。一方、講義を担当する教員の雑用(Non-Academic duty)が増え続けている。これらに対する見直し(多少は行われてるようであるが)、改善は今後益々必要となるであろう。