国際化の中における日本の人権保障の現状と課題

九州大学大学院法学研究院/主幹教授 木佐茂男

ある無期懲役囚への無罪判決
この2010年3月26日に日本で一つの注目すべき刑事事件の判決があった。199
0年に当時4歳の女児が殺害された「足利(あしかが)事件」で無期懲役刑を受けた菅家
利和(すがや・としかず)氏(現在63歳)に対する再審裁判で、宇都宮地方裁判所の裁
判長は「菅家氏が犯人でないことは誰の目にも明らかだ」と述べ、無罪判決を言い渡した。

判決言い渡しの後、裁判長は「17年半もの長きにわたり自由を奪う結果となり、申し訳
なく思う」と謝罪し、その謝罪の後、3人の裁判官が立ち上がって菅家さんに深々と頭を
下げた。この事件は、DNA鑑定結果の誤りなどが明白になり逮捕後18年目で社会に戻
ることができた稀なケースである。

1970年代以降、多数の無実の死刑囚が冤罪の主張が功を奏し、刑務所から釈放され
た。長い人は、無実でありながら40年以上も刑務所で暮らした。逆に、無実の可能性が
あるのに死刑になった死刑囚も少なからずいた。

日本では、刑事裁判にこのような誤判が多いことから、1980年代末から始まる司法
改革への機運が高まった。台湾よりも相当に遅れたが、21世紀に入ってから政府が主導 する司法制度改革が始まり、刑事裁判に国民が参加する裁判員制度が採用された。これは、 欧米の陪審制と参審制とは異なる独自の制度と言って良いが、国民が重要な刑事裁判に関 与することができるようになった点で、残された課題は多いが一つの成果と考えられる。

しかし、日本では、21世紀に入ってから、「司法制度改革」は行われたが、それは、本
格的な「司法改革」ではなかった。

欧米諸国と比較して
一口に欧米といっても、しばしば過酷で残虐な警察の行動や、被疑者の人権、さらには、
アメリカのように裁定の生活や医療さえ保障されていない国もある。その点において、日
本の人権状況は、欧米と比較してどの部分でも劣っているとか、優れていると断言するこ
とはできず、人権の分野ごとに、また、個別の事件ごとに吟味しなければならない。公害
を原因とする水俣病の患者が30年以上も未解決の状態に置かれたり、日本で戦後長く政権を担った保守政党が「君が代」を国歌と定めて以降、この歌が国民主権とは合致しない 内容であることを理由として起立して歌わない小中学校教師が次々と懲戒処分を受けてい ることなどは、生命・健康の保障や、思想の自由の保障といった観点から、日本の中でい まだ人権問題が大きな課題であることを示している。人権が保障されていない実例は、無 限に存在する。

アジアの中での位置づけ
日本の動向は、ほぼリアルタイムで、アジア諸国・地域に伝わっている。人権保障とい
う点では、日本国民は、アジアの中では恵まれている方に入るであろう。しかし、その人
権は、一方で、第2次世界大戦での敗戦により、アメリカ軍により上からもたらされた人
権という部分もあり、他方で、この50年余の間に国民の努力で勝ち取ってきたものでも
ある。しかし、日本の司法改革の不徹底や警察制度の民主化の遅れによって救済されない 人権が多様に存在する。また、既存の利権集団があるために社会保障的側面の人権は、一 部は過剰な保護を受け、一部は放置されている気の毒な状況があって、これを調整する課 題が残っている。

司法改革の評価
台湾における司法改革は、日本に比較して格段に進んだ。司法院の司法改革宣言であり、 司法改革プログラムと言える1999年3月30日付けの「全國司法會議結論 具體措施 曁時間表 迎接新世紀的挑戦 加速改革司法」という全78頁の冊子は私には衝撃的であ った。日本の司法改革を開始するための法律である司法制度改革審議会設置法の審議の際 に、国会(立法院)である参議院の法務委員会において、司法院の上記冊子刊行後40日 ほどの時点である1999年5月18日に、冊子の目次を日本語にして、法務委員会の委 員にも配布し、私の司法改革に関する意見を述べた。各党の委員の間で大きな関心をもっ てもらえたが、法律成立後の改革過程では、残念ながら、台湾の司法改革の理念や実践は 顧みられることはなかった。

IT化の進展と人権救済
今後、電子技術の進展とともに、新しい法的な問題が多数出現すると思われるが、他方
で、新たな電子テクノロジーは、人権救済にも有益なものとなろう。しかも、国境を越え
た人権保障や人権救済の道具となる可能性がある。IT技術は、後者のために駆使される べきである。

国際的観点での人権保障
このような技術と、各国・地域の連帯や連携により、人権保障のネットワークが広がり、
人権が国際的な最高基準によって保障される社会が実現することを願う次第である。