生命権教育への反省及び必要性

台灣日立亞太(股)公司職員 阮嘉慶

  2008 年には、国連 NGO 地球市民総会栄誉副主席兼委員である洪道子博士が国連の秘書長である潘長文氏に「做好事守地球」を発信したレターには、「人類が生まれから地球の資源を不断に消耗してる。人類が歩いた所に夫々をどんなに使用したり、食べたり、そして開発したりしたもののすべてが必ず痕跡を残しているんです。全世界の気候異常や糧食危機や生態圧力の激変や人類の生存環境が日々悪化している一方に伴い、地球の水、土地、空気、植物、動物や魚群など夫々のすべてが、無情な減少危機に直面しています。また 21 世紀には、人類が戦争、貧窮、地球温暖化、 AIDS 、癌病や鬱病などに直面している六大問題のすべてがあそこから引き起こしたんです」。そのうち、鬱病より惹起した自殺問題が先端技術を持っている先進国や開発国家中を問わず、避けられなく、既に大きな問題を取り上げる。各国にも様々な総合予防対策を行っていますが、しかし、夫々の国民に生命権を喚起させる効果が始終限られまる。

  よって、この論文の目的としては、いままで先人達が生命権に対し、自分を犠牲にしてやっと喚起した地球市民の生命権の重要さを大事に使ってほしい、そしてどのように鬱症状から取り返すのかという膨大なリソースを掛かるというより、むしろ最初誰をも発生しならないよう、根本的な予防医学として健全な身、心、魂の全方位健康を立てるように提案してみたいと考えております。

一、生命権による各時代の考え方

  全ての万事万物は夫々の魂を持っていることがよく言われております。昔の昔の中国人は、天地を尊敬し、鬼神を祭祀する敬虔な心を持つのみらなず、動物や植物を問わず、夫々の生命も大事にすることが古来の先聖先賢達より代々伝承されてきております。また、中国の孔子は曰く“身体髪膚これを父母に受く、敢て毀傷せざるのは、孝の始めなり”というように、父母から大事に育てや恵みがあり、どんなに貧しくても、どんなことがあろうと、体にちょっと傷が付かれると、父母に不孝を見なされることを我々に教えてくれた。ここで再三強調したいのは命こそあって重要です。要するに、古来より人間の概念は、生命権という発想が既にあったことを拠所にする。

  また、日本は、嘗てより発達した武士道精神からの教えにも、そのうち、「葉隠の武士道とは死ぬことと見つけたり」と同じ、死を覚悟して日々を生きるという武士の心構えを表しているものです。武道初心集にも、「常日頃死を覚悟して生きる事が武士の第一心掛け」としている。よって、武士道の思想を持つ高い精神性、優れた道徳性は、こうした心掛けが生んだものと言えるでしょう。そこで、浮上するのが、死を持って日々精一杯生きる、あるいは死を心に当てていま日一日を生きるという智慧の教えが実は非常に優れた価値観を持つわけです。即ち、“死は、泰山より重く、鴻毛より軽し”という中国の諺で、命が非常に大切なので簡単に死ぬということを絶対に軽く言ったりやったりしてはいけない。よって、大我若しくは国の為に自己犠牲している人々が確かに理解しておりますが、しかし、自殺とか自縛とかいったものは、案外です。

  こういうような素晴らしい考え方のインパクトで、今後の明治維新の時代に沢山の優秀な思想家、政治家を輩出し、アジアでは、日本のみは、当時の欧米列強に比べ、まさに負けぬ国を創り出した。そして第2大戦敗後でも、万事廃墟から改めて強い日本という国を僅かな時間で創り出したことはまた別な話としましょう。

  21 世紀の時代からには、人権の重要性及び議題が絶えずに高揚されており、人権発展史も最初の“天賦君権”、“神賦教権”から天賦人権の芽生え、更に基本人権への発想に様々な人権が雨後の筍のように出ております。 そこで 第 2 次世界大戦後,各国憲法・国際法の人権の理念的基礎としての役割を果たしてきた「人間の尊厳」,「個人の尊重」,「生命権」をめぐる 思想 が続続と出ております。そのうち、生存権、生命権、そして追求幸福権などを第三者から 侵犯と 剥奪してはいけない。こうした基本的人権を、 他の人権とは並列ではなく相対的に区別された人権として「人権の コア」として、「人権の 中の人権」「切り札としての人権」と位置づけます 。即ち、基本的人権である自己の生命すらも守れないというならば、一切の人権が皆無となるともいえよう。

 二、生命権無視に関わる自殺の原因及び仕組み

   基本的な生命権に違反する例が一杯ありますが、基本的な生命権に違反する例が一杯ありますが、台湾はもちろん、そのうちに一番目立つのは、日本の自殺率が12年連続で年間が 3 万人を越えているということを研究対象とする。

  2008 年日本の自殺実態白書によると、 自殺の原因や動機で最も多かったのは、経済 ・ 生活問題で自殺した。そして自殺による経済的損失は、 98 年から の10年間で 22 兆 1200 億円 に上るという ことしか概算されていないが、実際は、自殺により、来たした関係者の長期精神消耗及び掛かられたリソース消耗を使われる事こそ、本当に無駄しか表現できません。ある 日本人 の見解では、貧富の差の拡大及び長期的に景気の悪化の影響も直結するともいえるかもしれませんが、しかし、どうしてかけがえの無くの大事な命は、自分自身で蟻のように簡単に捨てられるというのか不思議だと思われる。特にアジアでは文化が長く、 20 世紀後半から 21 世紀初まで最先端技術を持つ先進国の優等生 - 日本はもちろん、欧米各国も同様な現象に直面している。そして色々な総合予防対策を打って苦労を掛けましたが、その現象がほんの少しでも減る傾向がなさそうです。その結果は、豊かな社会だが、かえって心の貧しい国とならざるを得なくなりました。

  更にこの報告から仕組みを分析してみると、 10 大の自殺危機要因は、事業不振、職場環境の変化、過労、身体疾患、職場の人間関係、失業、負債、家族の不和、生活苦、鬱病などを取り上げております。自殺は、単一の要因で発生する場合もありますが、その自殺径路は、約 40 %以上で、殆ど表面化から深刻化まで何段階を辿り着いて危機複合度が連鎖した末に、人は最終的にマトリクス要因により、鬱病など心の病で自殺に追い込まれている。

  即ち、 職場及び失業配慮(心配=ストレス)⇔家庭経済(心配=ストレス)⇔過労(ストレス)⇔人間関係(ストレス)→煩悩による総合健康問題=鬱病(心の病)

  一旦、鬱病の悪循環に入った場合には、この循環から脱却するには、相当のエネルギーを要するため、周囲の強力な支援が必要不可欠となり、専門家による支援も必要となる。こうした専門者には、精神医療関係者だけでなく、経済的問題、法的問題も含む様々な領域の専門家も必要である。つもり、包括的で系統的社会システム(医療体制を含む)の整備が求められていると考えられる。しかし、最終局面に近づくにつれて打開策の選択の余地が小さくなり、同時に効果が限定的になる傾向があると指摘した。

三、尊重を前提とする円満の仕組み

•  子供から自他生命への尊重教育の深耕

  自分が己 の基本人権(生命権)を尊重できない人なら、その反面、他人を尊重出来る筈はないというように考えられます。こうした自然の理がやはり子供のうちに、家庭、学校、そして社会教育には、絶対必要不可欠なものを心の奥に植えるとして配慮しなければいけない。日本語の普段会話で“お互い様です”という表現をよく言われております。要するに、貴方が私の意見を尊重するなら、逆に私は同様に貴方の意見を尊重する。何でも自他両面があるので、普段として広い度胸を持っており、よい一杯人脈関係を好循環で作り上げていけば、いつの間にか、知らず知らずのうちに、いざと言う時に、誰か、どこから貴方に何に役に立てることになると思われる。

•  バランス哲学の思想:常日頃すべてのことに対し、円満かつ真剣に処理することを日々心掛けております。

a 創業、職場にはすべてが円満対応にすること。

b 家庭の和睦の円満対応

c 自己健康管理の円満対応すること。

d 人間関係への円満対応すること。

  こうしたコンセプトを持っていけば、どちらかの失敗要因があろうと言っても、複雑な複合要因の危険仕組みに入らないのでしょう。たとえ、単一若しくは二つの危機要因が有っても、相互補足作用でほかの好い要因よりカーバーする機会がある程度できるため、悪循環の状態にならないでしょうか。そうすると、先程説明した失業配慮(心配=ストレス)⇔家庭経済(心配=ストレス)⇔過労(ストレス)⇔人間関係(ストレス)というルートが成り立たないため、複雑な煩悩による総合健康問題=鬱病(心の病)に達する限界が相当減少できるであろうと思われる。

  実は、例から言うと、我々は、例外なく、自分自身に対し、そういうような現象にならないよう、常に自己反問をしてます。また、自他に類似現象が出てきたら、まず家庭、それから親戚、友達からの力が欠かせないものです。その手をどのように引っ張るのかを考えております。諸行無常という仏言葉があり、自分に対し、あちこちに余計な心配をしてもエネルギーの消耗一方で無駄であることを常に念頭におきます。普段としての立居振舞への修練や好い考えが常日頃の累積で重要となっております。全世界の景気悪化が日本のみならず、台湾も大問題ですが、そのうねりがどんな時代にも過去歴史からみれば、繰り返し繰り返し認識しておりますが、肝心要なところは、豊かな生活→貧乏な生活に切り替える時に心身供を既に甘やかされてしまったことにならないような現代人の通病としての脆く弱い心を避けるかがひとつのコアだろうと考えております。

•  予防医学:

  中国の聖賢である黄帝内経によると、「上医は、未病を医やし、中医は人を医やし、下医は病を医やす」という治療思想ががあります。即ち、病気を持った人々を治療するのではなく、病気を未然に癒すことができる医者が上医であると喝破してる。簡単に言うと、最新現代医学の思想では、それが予防医学を呼ぶ。こうした考えを持って対応した場合、未だ鬱病にならない場合、若しくは発生した寸前に、既に防止可能で且つ自分自身のエネルギーで鬱病を癒す可能です。結局国家が医薬浪費無し可能であるため、医者が不要となるという可能性がないわけでもない。換言すれば、一旦鬱病発生後に、始めてから国より総合予防策が展開し、それほど動員されるコスト、時間、関係者(各分野の専門者、設備、医薬人員 … )など総合費用は、実は頭で考えられないほど膨大です。また、それでも、最終的には治療効果の有無がきっと疑問視される。

  結語、実は、 2002 年地球市民人権宣言では、その基本的人権の真諦を以下明確に説明しました。「 万物は天理に循い、天・地・人はその本一つなり、真心は、真なる愛を伝え、平和は世界に行き渡る“という大自然の理ことを伝えました。その真諦としては、そもそも平和の源は人間と自然との調和にあり、また人権の源は、人間同士の尊重にあり、その実践方法としては、愛を以ってその原動力としよう。文化交流を通して人類の魂の力を結合しよう。そうすることで、地球市民は、自由を享受でき、人権は保障され、平和が実践されよう」 。

  そこで生命権を解釈してみると、やはり死ぬ時に逃げられる必要なく死ぬべきです。その反面は、死ねべきものではない時に、どんなことがあろうと、死んではいけない。即ち、人間としては、ちゃんと実践若しくは完成しなければいけない使命があったら、中途半端で自分自害をした場合、天賦人権または自然の理に違反することになるということがよく理解して頂ければ、大変幸甚でございます。